第二エルサレム会議に向かって
文責:石井秀和


エルサレム会議

 初期のメシア共同体(教会の意味、以下同じ)は、イスラエルの民族共同体の中に生まれたので、構成員全員がユダヤ人でした。その後、異邦人の中からも、イエスをメシアと信じる人々が起こされ、メシア共同体の活動に参加するようになりました。

 そのとき、メシア共同体のユダヤ人の中から、モーセの慣習に従って割礼を受けなければ異邦人は救われない、異邦人にも割礼を受けさせモーセの律法を守ることを命じるべきだ、という意見が生じてきました(使徒15:1、5)。この意見は、今でこそ「ユダヤ化の異端」として断罪されるべき誤りであることが分かるのですが、その当時の状況を考えると、これは必ずしも全く的外れな意見ではなかったのです。なぜなら、上述のように、メシア共同体は、当初、割礼を受けたユダヤ人の民族共同体の内側に存在するものだったからです。ユダヤ人共同体の中にあるメシア共同体に入るために、割礼を受けてユダヤ人になるべきだ、という考えは自然なものでした。また、異邦人も同じ祝福にあずかるのであれば同じ義務を負うのが当然ではないか、と考えられたのです。

 しかし、ユダヤ人の使徒たちと長老たち(いわばメシアニックジュー)は、この問題について検討するためにエルサレムに集まり(「エルサレム会議」)、聖霊の導きによって、次のような決定をしました。イエス・キリストを信じた異邦人は、最低限必要な4つの事柄を守ることのほかは、何の重荷も負わなくてもよいと。イエス・キリストを信じさえすれば、ユダヤ人にならなくても、誰もが神の救いにあずかることができ、神の民、神の家族に入れるのだと。実は、全ての民が信仰によって義とされて救われるということは、もともとの神の計画であった(ガラテヤ3:8)のですが、初代教会(初代メシア共同体)のユダヤ人使徒と長老たちがあらためて、この真理をメシア共同体の公式見解として、正式に確認したわけです。

 そして、ユダヤ人の使徒と長老たち(メシアニックジュー)は、異邦人の信徒たちに向けて、「兄弟である使徒および長老たちは、……異邦人の兄弟たちに、あいさつをいたします。……」(使徒15:23-29)と、手紙を送りました。その手紙を読んだアンテオケの信徒たちはその励ましによって喜んだことが、同31節に記されています。

エルサレム会議の決定と正反対の教会規則

 ユダヤの文化・文脈の中から救いに必要な本質部分だけを抽出した福音、文化の重荷が取り払われた福音は、この後、異邦人の世界に爆発的に広まり、多くの異邦人たちが救われてメシア共同体の中に入ることになりました。その一方で、大部分のユダヤ人は福音を拒絶してしまいました。世界人口の中で異邦人の数がユダヤ人よりも圧倒的に多いこともあり、当初はユダヤ人の共同体であったメシア共同体は、異邦人がその中の圧倒的多数を占めるようになりました。

 様々な歴史的経緯の詳細解説は他の記事等に譲りますが、異邦人が圧倒的多数になったメシア共同体は、ユダヤ人、ユダヤ文化に対して厳しい態度を取るようになり、共同体の中からユダヤ人の文化を排除、排斥していくようになりました。そして、紀元4世紀から、各地方の教会で、ユダヤ人信者(メシアニックジュー)にユダヤ文化を捨て去ることを要求する様々な教会規則をつくっていくことになりました。(306年スペイン・エルヴィラ会議、345年アンテオケ会議、360年ラオデキヤ会議、506年フランス・アグド会議、633年スペイン・第四トレド会議など(※注1))

 そして、ついに、787年の第二ニケア会議では、世界の全ての教会に適用される公式な教会法として、次のような規則が制定されるに至りました。

「ヘブル宗教出身の者たちは惑わされてきたので、クリスチャンになるふりをして神なるキリストを嘲っていると思われる。彼らは、公然とまたは密かに、安息日を守ったりその他のユダヤ人の諸習慣に従ったりして、主を否定している。彼らは聖餐にも、祈りにも、教会にも受け入れられるべきでないと、我々は決定する。ヘブル人たちは、明らかに自分たちの宗教に従っているのである。彼らの子どもたちは受洗してはならない。また、奴隷が買われたり入手されたりしてはならない。しかし、もし、彼らのうち誰でも、真摯な信仰と心で改宗し、心を尽くして信仰の告白をし、他の者たちが仮面を剥がされ矯正されるよう彼らの習慣や慣わしを暴露するなら、その者とその子どもたちは、受け入れられ、受洗できる。しかし、彼らはヘブルの諸習慣から離れるよう監視されねばならず、さもなければ彼らは決して受け入れてはならないと、我らは確かに定める。」(Canon VIII ラテン語本文の英訳(※注2)より筆者和訳)

 使徒の働き15章のエルサレム会議では、メシア共同体を主導していたユダヤ人の兄弟(メシアニックジュー)が、異邦人の兄弟のために、文化に関する問題からの自由を決定し、宣言してくれました。それに対し、主導者側の立場になった異邦人は、ユダヤ人の兄弟(メシアニックジュー)たちに対して、ユダヤ人の文化を捨て去ることを強要し、それを捨てない兄弟たちをメシア共同体から追放してしまいました。つまり、エルサレム会議でユダヤ人の兄弟が異邦人のためにしてくれたことと全く反対のことを、異邦人はユダヤ人の兄弟に対して行ったのです。どんな人でも、出身文化に関係なく、罪を悔い改めてイエス・キリストを信じれば、恵みのみ、信仰のみによって救われて神の家族になれる、というのがイエス・キリストの十字架の福音です。ですから、ユダヤ文化を捨てなければならないという条件をユダヤ人に課する教会規則を制定したことは、福音の真理を捻じ曲げる重大な過ちであったと言えます。

 上述の第二ニケア会議は787年に行われました。787年は、教会が東方教会と西方教会に分裂する以前、ましてやプロテスタントがカトリックから分かれる以前の、教会が一つであった時代です。つまり世界の全てのクリスチャン(カトリック、正教、プロテスタントに関係なく)がこの時の教会の霊的子孫であるため、世界の全てのクリスチャンが、この第二ニケア会議の反ユダヤ的公式決定の霊的影響を、何らかの形で受けていると言えます。この霊的影響を断ち切るためには、世界の教会が、かつての反ユダヤ的決定の誤りを公式に認め、公式に決定を取リ消し、悔い改めをすることが必要と考えられます。

第二エルサレム会議に向かって(TJCU)

 使徒の働き15章のエルサレム会議(Jerusalem Council)では、キリストにあるユダヤ人(メシアニックジュー)の指導者たちが集まり、異邦人はユダヤ人にならなくても異邦人のままで救われ教会に受け入れられることを、神の御旨として公式に宣言しました。今度は逆に、異邦人の教会指導者たちが集まって、かつての反ユダヤ的教会規則を公式に取り消し、ユダヤ人はユダヤ文化を捨てて異邦人に同化しなくてもユダヤ人のままで救われて教会に受け入れられることを宣言する教会会議(いわば「第二エルサレム会議」)が、主によって起こされるのではないか……。メシアニックジューと異邦人のクリスチャンが、全世界規模で和解するときが来るのではないか……

 1995年、このようなビジョンが、イエスをメシアと信じるユダヤ人のメシアニック運動の指導者の一人に与えられました。このビジョンに、他のメシアニック運動指導者たちと異邦人のクリスチャンの指導者たちが賛同し、「第二エルサレム会議に向かって」(Toward Jerusalem Council U、略称TJCU)という運動が開始されました。

 TJCUの働きは、自分たちで「第二エルサレム会議」を開催しようとすることではなく、「第二エルサレム会議」がいつの日か実現するために、祈り、キリストにある世界のユダヤ人と異邦人の交流を進める、触媒としての働きです。それゆえ、彼らの働きの名前は「第二エルサレム会議に向かって(toward)」なのです。

 TJCUがこれからどのような形に発展していくかは分かりませんが、主が今後、日本の教会をこの運動に参加するよう導かれる可能性も考えられます。

(TJCUウェブサイト:http://www.tjcii.org/

※注1、注2 出典:http://baruchhashemsynagogue.org/resources/antimessjud.html

(2009.12.21)

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