律法論-クリスチャンに恵みをもたらす律法

「旧約の時代は終わった」
「今は恵みの時代だから、律法はいらなくなった」
「律法は古いもので、イエス・キリストの出現によって、不要となった」
「今はイエス・キリストの教えを守れば、律法はいらない」

そういう意見が異邦人教会の大多数の意見として取り扱われ、教会で牧師たちが旧約聖書を元にメッセージすることが少ない状態が続いています。

果たして旧約聖書は不要のものとなったのでしょうか。

新約聖書の内容の6割は、旧約聖書からの引用であり、旧約聖書を理解せずに、新約聖書は読めないし理解できないと言われています。とりわけ、「律法の書」と呼ばれているモーセ五書、ヘブライ語でトーラー(み教え、道)と呼ばれている創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記について、ここはもう「不要」となったという意見に対し、この「律法の書」こそ、すべての信者、ユダヤ人、異邦人全員に対して大いなる恵みと祝福をもたらすものであることをご紹介致します。

律法論その1:−なぜ神は律法をイスラエルに与えられたのか− 「律法は愛と恵みに満ちている」

律法論その2:−パウロの説く律法論− 「キリストは律法の目標であり、いのちの道である」

律法論その3:−クリスチャンと律法− 「クリスチャンは律法をどう取り扱うか」

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