ワントーラー論の背景
シオンとの架け橋 石井田 直二
イエス・キリストを信じたユダヤ人に豚肉を食べさせ、食べないと「君はまだ律法に縛られている」と言うのが歴代のキリスト教のやり方だった。だが「ユダヤ人は律法を守りつつ、イエス(イェシュア)を信じる召命がある」という主張を展開したのがメシアニック運動である。
ところが、ユダヤ人だけでなく、異邦人にも律法を守るよう教える「ワントーラー」という教えが現れ、数年前から大きな問題になっている。
■メシアニック運動に参入する異邦人
イエスを信じたユダヤ人の運動であるメシアニック運動が、異邦人クリスチャンにも知られるようになり、多くの異邦人がメシアニック運動に加わって来た。そこで、当初は誰も予想しなかった、様々な問題が起こって来た。
第一の問題は、ユダヤ人共同体の中に置かれた異邦人メンバーの位置づけだ。少数派の立場である異邦人メンバーは、子供の割礼式や、バール・ミツバなど様々な面でユダヤ人と同等に扱われないため、一部の人々は疎外感や被差別意識を持つことになった。
第二の問題は、多数の異邦人の流入で、ユダヤ人がほとんどいなくなってしまったメシアニックコングリゲーションが現れるなど、メシアニック運動の「ユダヤ人の運動」としての性格が変わる兆しを見せてきたことである。
そこで、メシアニック会衆の連合であるUMJCは2002年に「メシアニック運動はユダヤ人の運動である」という趣旨の定義を発表した。これが、異邦人メンバーだけでなく、ユダヤ人メンバーにも「異邦人メンバーは二級市民か」という反発を招いたのである。
そこで登場したのが「ワントーラー」論だ。異邦人もユダヤ人と同じ律法を守ることによって、最終的にユダヤ人と同じ「完全な市民権」を得られるという見解である。これは、人種差別的要素を取り除く単純明快な教えだ。
論争の図式は、使徒行伝15章におけるエルサレム会議と同じだ。新しく運動に参入した異邦人は、改宗させて「完全なユダヤ人」として受け入れるべきだというのは、人間的には妥当な意見だ。しかしペテロの一言でこの論争に終止符が打たれた…、というのが今までの常識だった。
ところが、ワントーラー論者たちは、この会議の結論は「最初は道徳律法だけだが、徐々に律法の全項目を守り、割礼を受けて完全なユダヤ人になれる道もある」だと主張する。
神学論は専門家に任すとして、この主張には実際的な問題点がある。メシアニック運動の出発点であった「ユダヤ人の民族的召命」は、ユダヤ民族の存在が明確であることが前提だが、ワントーラー論だとユダヤ民族の存在が曖昧になると、多くのメシアニック・ジューが懸念する。実際、メシアニック運動に異邦人が増えすぎると、一般のユダヤ人から見て「メシアニック運動は、やっぱり異邦人の運動じゃないか」ということになってしまう。
だが、メシアニック運動を熱心に支持して運動に加わった異邦人を、ユダヤ人の民族的使命を盾に追い出したり、二級市民扱いしたりするのにも問題がある。
■神と人との役割分担
異邦人が初代教会に入って来ることは、神の超自然的介入により決定された。だが、教会内における異邦人とユダヤ人の区別については、神は直接介入を避け、長老たちの聖書にもとづく長い論議に任された。
現代のメシアニック運動もまた、神の直接介入とも言える経緯で始まり、今度はイエスを信じるユダヤ人が教会に帰って来た。だから、教会内における異邦人とユダヤ人の区別についても、使徒たちに習って長老たちが集まり、聖書に基づき開かれた議論を行うべきだろう。
新約聖書のエルサレム会議においては、様々な見解の論者が自分の見方を宣べた。そして、重要なことは、最終決定を誰もが受け入れ、反対論を述べた人々を異端者として排斥などしなかったことである。メシアニック運動も、このような成熟したレベルに至れるように祈りたい。
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参考:現在、UMJCでは新しいメシアニック運動の定義を発表していますが、まだ異邦人メンバーの扱いについては「将来に向けて必ず明確にする」となっています。
これらの文章の日本語訳はありませんが、翻訳してくださる方があれば、ここに掲載させていただきます。
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