ラッパを吹き鳴らす祭り「ヨム・テルーア」
ラッパを吹き鳴らす祭りはなぜ「新年の始め(ロシュ・ハ・シャナー)」なのか: 第7の月である「ティシュリ」とは、元々バビロンの言葉で「最初」という意味で、バビロン捕囚後に使われ出した名前です。バビロン捕囚前は「エタニム」の月といって、I列王記8:2に書かれています。 (I列王記8:2)イスラエルのすべての人々は、エタニムの月、すなわち第7の新月の祭りに、ソロモン王のもとに集まった。 バビロン捕囚時に、恐らくイスラエル人はバビロンの農耕暦で、新年がちょうど聖書暦の7月(西洋暦で9-10月頃)にあたる「ティシュリ」第7月を、新年にしたものと言われています。 実際、タルムードには複数の暦が使われており、主に「常用暦(農耕暦)」と「宗教暦」があり、常用暦の新年はティシュリの月(第7月)の1日が新年の始まりとしていますが、宗教暦では聖書の記述通り、ニサンの月(第1月)の1日が新年の始まりとされています。その他「動物暦」や「植物暦」というものも存在し、それぞれ新年が異なります。(タルムードより) ティシュリの月の1日には、いくつかの伝説があります。しかし、以下はすべて「伝説」であり、聖書には記述がありませんが、ほとんどはタルムードが記録しているものです。 アダムとイブが創られた。(あるいは天地創造の日) メシアニック・ジューは、タルムードの伝説に関しては一定の距離を置いているので、上記の「伝説」を特に信じている訳ではありませんが、ユダヤ人の伝承として認識はしています。特に、「天地創造の日」については、そう「聞いている」と認識している方々はいましたが、それ以外はあまり知られていないのではと思われます。 聖書に書かれている「ラッパを吹き鳴らす祭り」 ヨム・テルーアとは、直訳は「吹き鳴らす日」「音(角笛の)を出す日」です。聖書の中にも「ラッパを吹き鳴らせ」という日が設けられています。それは、大贖罪日(ヨム・キップール)を前にして、人々に「準備せよ。」と呼びかけるものです。 (レビ記23:24-25) (民数記29: 1-6) 第7月の1日から10日まで、10日に行われる「大贖罪日(ヨム・キップール)」に至る間、人々は自己検分と悔い改めを行う期間として、The days of awe (畏怖すべき日々)ヘブライ語で「ヤミム・ノライーム」と呼ばれています。 ロシュ・ハシャナ(新年)「メシアニック・ジュダイズム」から引用: ラッパの祭り―ユダヤの新年―は秋にあり、イスラエルの暦でティシュリの月の第一日目にあたる。この日はもともと新年としては祝われていなかったが、ユダヤ教の伝統による計算によって、この日が天地創造の記念日と決定されたのである。 古代イスラエルでは、この日にヨム・キプールにそなえてショーファー(雄羊の角笛)を吹き鳴らす風習があった。それゆえ、ユダヤの伝統的なこの日の祈りには、新年の記念に加えて赦しを乞う内容が組み入れられている。しかし、聖書的な新年は、この月ではなく過越の祭りを祝う月に祝うようにとユダヤ人たちに命じられていた。実は、イスラエル周辺の中近東諸国の新年祭がこのティシュリあたっていた。<そこで、その風習がイスラエルに取り入れられた>。これは、現在のイスラエルで西洋暦も並行して使われているのと同様である。しかし我々が、自己検分と神の前で悔い改める日々に入るための日としての意味を失わない限り、この日に天地創造を覚えることには何も問題はない。 ラッパの祭りはメシアであるイェシュアが地上に戻られて、支配し君臨することを思い起こさせる日でもある。Tテサロニケ4章16-18節には「主は号令と御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい」。 またTコリント15章では、我々は復活の時、最後のショーファーとともにたちまち一瞬の内に変えられると述べられている。 メシアニック・ジューはそれゆえロシュ・ハシャナを休息の日とし、復活とメシアの再臨を強調した賛美の礼拝を行い、さらにヨム・キプールにそなえるのである。伝統的なものや現代的な賛美素材を、この実践のために用いても良い。(引用以上) 新約聖書に書かれている「ラッパ」に関する個所: (マタイ24:31) (1テサロニケ4:16-18)
(1コリント
15:52) (ピリピ3:20-21) イエスを信じている者にとって、「ラッパを吹き鳴らす祭り」こそ、再臨の主をお迎えするためにラッパを吹き鳴らす日であり、再臨によって信じる者はすべて「栄光の体」へと変えられて主と出会い、そして、それは主イエスとイスラエルや諸国にある主のみ体であるコングリゲーション、教会との「婚礼」の日を迎えるという、大変喜ばしい日を記念するのです。 ラッパを吹き鳴らす祭りを祝う: では、ユダヤ人やメシアニック・ジューは、どのようにしてこの祭りを祝うのでしょうか。 ユダヤ教の人々も、このお祭りがただ大贖罪日を前にして、自己検分をするための呼びかけの祭り、という認識以上に、「来るべきメシア」を待ち望む日であることを知っています。メシアニック・ジューにとって、この日こそ「再臨のイエシュア」が来られる日を象徴しており、千年王国において全世界の人々を裁かれる「ヨム・キップール」を前に、全世界の王となられるイエシュアをお迎えするのだという思いでこのお祭りを行うのです。 アシェル・イントレーター師は、2009年10月10日のニュースレターの中で、秋の3つの例祭についての、イエシュアとの位置づけを以下のように分けています: 1) ヨム・テルーア(ラッパを吹き鳴らす祭り):艱難 また、イントレーター師は、ラッパを吹き鳴らす祭りに関して、9月20日のニューズレターでは、以下のようなことを述べています: 「(今年のラッパを吹き鳴らす祭りの)終盤近く、聖書の中でラッパを吹き鳴らす意味について私は語りました。それは、ある特定の人物を王と宣言することです。それは、「ハムラハァ」という行為です。ヘブライ語の意味は「ある人物を王とする」です。それに対して私たちは「主の御名、イエシュア、イスラエルの王として来られる方に祝福あれ」(マタイ23:39)と7回叫びました。そして全員で角笛を吹き鳴らし、喜びの音を主に向かって立てました。」 この日、人々は秋の収穫物(主に果物など)で家々やシナゴーグを飾り、新しい年が甘くて良い年であることを願い、特に「リンゴとハチミツ」を用意します。そして、甘いパイなどの食べ物や、年の初めを表す「魚の頭」などを食べます。ロシュ・ハシャナーで食べるお料理は、どの例祭でも例外なく、数多くのバリエーションがあります。 「ラッパを吹き鳴らす祭り」が普通の週の中にあろうとも、その日は「安息日」扱いとなり、人々はシナゴーグで礼拝を捧げます。普通の日の場合、夜に礼拝する場合もあり、それぞれのシナゴーグによって時間が異なります。 シナゴーグでの礼拝時、その日に当たっているトーラー(律法の書)、ハフトーラー(預言書)そしてメシアニック・ジューならそれに加えてブリット・ハダシャー(新約聖書)を朗読します。(通常安息日に行われるトーラーリーディング(律法の書の朗読)と同じことをします。そして、バアル・テキアー(角笛をならす人)が角笛を持って、次の3つの音を吹き鳴らします。その時、吹く前にそれぞれの音の名前「テキアー」等を言いながら吹きます。 テキアー:「プーーー」と一定の長さで吹く そして、最後にバアル・テキアーの人は深呼吸をして: テキアー・グドラー:「プーーーーーーーーーーーーーー!」と息が続く限り長大に吹く http://www.lightofmashiach.org/yomteruah.html(実際にこの3種の角笛の音を聞くことができます) そして、人々は老若問わず、皆角笛(ショーファー)を手にし、シナゴーグの指導者の合図と共に一斉に吹き鳴らします。「メシアが来られる!メシアが来られて私たちを治めて下さる!」と期待しながら。
そして、「タシュリーク」という行事を行います。それは、パンのくずや、小石を持って近くの川や池に行って、自分の罪を検分し、そのパンくずや小石にこめて投げ捨てます。パンくずや小石は川に流されたり、沈んだりして二度と目につくことはありません。これは、以下のみことばから来た伝統行事です。 (ミカ書7:19) もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れてください。 そして、互いに挨拶を交わします。 「新しい年において、あなたの名が刻まれ、記録されますように」(ヘブライ語で) 参考文献: |
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