過越の祭り「ペサハ」
聖書暦第1月、西洋暦3〜4月頃

過越の祭りに使われるもの
式次第「ハガダー」
キディッシュカップ「聖別のワインまたはぶどうジュース」
過越の象徴となる食材(ディナーとは別のもの)
種なしパン「マッツァ」
Bible Evidence for CatholicismのHPから抜粋
http://socrates58.blogspot.com/2009/07/passover-in-judaism-past-events-become.html
過越の祭りとは
過越の祭りこそ、イスラエル民族の発祥の祭りであり、エジプトで奴隷であった民が、神の導きにより、モーセを指導者に選び出し、奴隷から自由の民として解放と独立を記念するお祭りです。「安息日」と「過越の祭り」こそ、イスラエル人をイスラエル人たるものとし、そのアイデンティティーの土台となる二大祭りなのです。
過越の祭りは単にイスラエルが一つの国家となるのを記念するだけでなく、イエス・キリストの十字架の死と復活を豊かに表現しており、メシアニック・ジューは、「過越の小羊」であるイエス・キリストを記念してこの祭りを祝います。
非常に多くの意味やしるしを含む祭りであり、過越の祭りだけで1冊の本になるほど膨大な情報が含まれています。それゆえに、ここでは概要のみを述べることとします。
この祭りは、「聖書暦」にも述べたように、ニサンの月(第一月)の14日の夕暮れ、すなわち15日が始まる夜から8日間かけて行われるお祭りです。
なお、「過越の祭り」は正式に「過越の祭り」と「種を入れないパンの祭り」とあり、8日間続く祭りの初日だけ、ニサンの月14日の日没から15日の日没までを「過越の祭り」といい、後の7日間、ニサンの月15日の日没後から21日までを「種を入れないパンの祭り」と言います。しかし、祭り全体、8日間を「過越の祭り」と言う場合と、二通りあります。
聖書には過越に関する数多くの御言葉が述べられています:
(出エジプト12:1〜27)
主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。
「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。
イスラエルの全会衆に告げて言え。この月の十日に、おのおのその父祖の家ごとに、羊一頭を、すなわち、家族ごとに羊一頭を用意しなさい。
もし家族が羊一頭の分より少ないなら、その人はその家のすぐ隣の人と、人数に応じて一頭を取り、めいめいが食べる分量に応じて、その羊を分けなければならない。
あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎのうちから取らなければならない。
あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、
その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。
その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。
それを、生のままで、または、水で煮て食べてはならない。その頭も足も内臓も火で焼かなければならない。
それを朝まで残してはならない。朝まで残ったものは、火で焼かなければならない。 (出エジプト12:11) あなたがたは、このようにしてそれを食べなければならない。腰の帯を引き締め、足に、くつをはき、手に杖を持ち、急いで食べなさい。これは主への過越のいけにえである。
その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。
あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り越そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。
この日は、あなたがたにとって記念すべき日となる。あなたがたはこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとしてこれを祝わなければならない。
あなたがたは七日間種を入れないパンを食べなければならない。その第一日目に、あなたがたの家から確かにパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までの間に種を入れたパンを食べる者は、だれでもイスラエルから断ち切られるからである。
また第一日に聖なる会合を開き、第七日にも聖なる会合を開かなければならない。この期間中、どんな仕事もしてはならない。ただし、みなが食べなければならないものだけは作ることができる。
あなたがたは種を入れないパンの祭りを守りなさい。それは、ちょうどこの日に、わたしがあなたがたの集団をエジプトの地から連れ出すからである。あなたがたは永遠のおきてとして代々にわたって、この日を守りなさい。
最初の月の十四日の夕方から、その月の二十一日の夕方まで、種を入れないパンを食べなければならない。
七日間はあなたがたの家にパン種があってはならない。だれでもパン種のはいったものを食べる者は、在留異国人でも、この国に生まれた者でも、その者はイスラエルの会衆から断ち切られるからである。
あなたがたはパン種のはいったものは何も食べてはならない。あなたがたが住む所ではどこででも、種を入れないパンを食べなければならない。」
そこで、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び寄せて言った。「あなたがたの家族のために羊を、ためらうことなく、取り、過越のいけにえとしてほふりなさい。
ヒソプの一束を取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血をかもいと二本の門柱につけなさい。朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならない。
主がエジプトを打つために行き巡られ、かもいと二本の門柱にある血をご覧になれば、主はその戸口を過ぎ越され、滅ぼす者があなたがたの家にはいって、打つことがないようにされる。
あなたがたはこのことを、あなたとあなたの子孫のためのおきてとして、永遠に守りなさい。
また、主が約束どおりに与えてくださる地にはいるとき、あなたがたはこの儀式を守りなさい。
あなたがたの子どもたちが『この儀式はどういう意味ですか。』と言ったとき、あなたがたはこう答えなさい。『それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主はエジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」すると民はひざまずいて、礼拝した。
(レビ記23: 5〜8)
第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。この月の十五日は、主の、種を入れないパンの祭りである。七日間、あなたがたは種を入れないパンを食べなければならない。最初の日は、あなたがたの聖なる会合とし、どんな労働の仕事もしてはならない。
七日間、火による捧げものを主に捧げる。七日目は聖なる会合である。あなたがたは、どんな労働の仕事もしてはならない。
(民数記9:1〜14)
エジプトの国を出て第二年目の第一月に、主はシナイの荒野でモーセに告げて仰せられた。
「イスラエル人は、定められた時に、過越のいけにえをささげよ。
あなたがたはこの月の十四日の夕暮れ、その定められた時に、それをささげなければならない。そのすべてのおきてとすべての定めに従って、それをしなければならない。」
そこでモーセはイスラエル人に、過越のいけにえをささげるように命じたので、 彼らはシナイの荒野で第一月の十四日の夕暮れに過越のいけにえをささげた。イスラエル人はすべて主がモーセに命じられたとおりに行なった。
しかし、人の死体によって身を汚し、その日に過越のいけにえをささげることができなかった人々がいた。彼らはその日、モーセとアロンの前に近づいた。
その人々は彼に言った。「私たちは、人の死体によって身を汚しておりますが、なぜ定められた時に、イスラエル人の中で、主へのささげ物をささげることを禁じられているのでしょうか。」
するとモーセは彼らに言った。「待っていなさい。私は主があなたがたについてどのように命じられるかを聞こう。」
主はモーセに告げて仰せられた。 「イスラエル人に告げて言え。あなたがたの、またはあなたがたの子孫のうちでだれかが、もし死体によって身を汚しているか、遠い旅路にあるなら、その人は主に過越のいけにえをささげなければならない。
第二月の十四日の夕暮れに、それをささげなければならない。種を入れないパンと苦菜といっしょにそれを食べなければならない。 そのうちの少しでも朝まで残してはならない。またその骨を一本でも折ってはならない。
すべて過越のいけにえのおきてに従ってそれをささげなければならない。 身がきよく、また旅にも出ていない者が、過越のいけにえをささげることをやめたなら、その者はその民から断ち切られなければならない。その者は定められた時に、主へのささげ物をささげなかったのであるから、自分の罪を負わなければならない。
もし、あなたがたのところに異国人が在留していて、主に過越のいけにえをささげようとするなら、過越のいけにえのおきてと、その定めとに従ってささげなければならない。在留異国人にも、この国に生まれた者にも、あなたがたには、おきては一つである。」
(申命記16:1〜8)
アビブの月を守り、あなたの神、主に過越のいけにえをささげなさい。アビブの月に、あなたの神、主が、夜のうちに、エジプトからあなたを連れ出されたからである。
主が御名を住まわせるために選ぶ場所で、羊と牛を過越のいけにえとしてあなたの神、主にささげなさい。
それといっしょに、パン種を入れたものを食べてはならない。七日間は、それといっしょに種を入れないパン、悩みのパンを食べなければならない。あなたが急いでエジプトの国を出たからである。それは、あなたがエジプトの国から出た日を、あなたの一生の間、覚えているためである。
七日間は、パン種があなたの領土のどこにも見あたらないようにしなければならない。また、第一日目の夕方にいけにえとしてほふったその肉を、朝まで残してはならない。
あなたの神、主があなたに与えようとしておられるあなたの町囲みのどれでも、その中で過越のいけにえをほふることはできない。
ただ、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ぶその場所で、夕方、日の沈むころ、あなたがエジプトから出た時刻に、過越のいけにえをほふらなければならない。
そして、あなたの神、主が選ぶその場所で、それを調理して食べなさい。そして朝、自分の天幕に戻って行きなさい。
六日間、種を入れないパンを食べなければならない。七日目は、あなたの神、主へのきよめの集会である。どんな仕事もしてはならない。
以上、まとめますと:
1) ニサン(アビブ)の月(第一月)14日の夕暮れから(すなわち15日の始まり)8日間かけてお祭りする。
2) 祭りの間は「パン種」がないようにする。すなわち、「種なしパン(マッツァ)」を食べなければならない。
3) 祭りの第一日目と第八日目は「主へのきよめの集会の日」すなわち集団で主を礼拝する日で、その日は仕事を一切してはならない。
4) 幕屋や神殿があった時代は、「出エジプト」をした同じ時間帯に過越のいけにえをほふった。
5) 幕屋や神殿があった時代は、いけにえをほふる場所は決まっていた。(ニサンの月10日にいけにえとなる1歳の雄の小羊を連れてきて、14日にこれをほふる。)
6) 祭りは、イスラエルの民の中に住む者は全員、在留異邦人であろうと誰であっても参加した。
7) 種なしパンに苦菜をそえて食べるなど、食べ方にも決まりがあった。
8) 第1月の14日の時に、遺体に触れた、遠い旅路に出ていた人は、1ヶ月遅れで過越の祭りを祝うよう命じられている。(現代では実際にそうしているかは不明です。恐らく1ヶ月遅れの過越をしていないのではと思います。)
新約聖書にある「過越の祭り」
イエス・キリストが弟子たちと共に過越の祭りを行っている場面が福音書に出てきます。
(マタイ26:17-30)
さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」
イエスは言われた。「都にはいって、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう。」と言っておられる。』と言いなさい。」
そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。
さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。 1
みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」
すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言った。
イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。
確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ。」と言われた。
また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。
(マルコ14:12-26)
種なしパンの祝いの第一日、すなわち、過越の小羊をほふる日に、弟子たちはイエスに言った。「過越の食事をなさるのに、私たちは、どこへ行って用意をしましょうか。」
そこで、イエスは、弟子のうちふたりを送って、こう言われた。「都にはいりなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい。
そして、その人がはいって行く家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる。』と言いなさい。
するとその主人が自分で、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。」
弟子たちが出かけて行って、都にはいると、まさしくイエスの言われたとおりであった。それで、彼らはそこで過越の食事の用意をした。
夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。
そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」
弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう。」とかわるがわるイエスに言いだした。
イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに、同じ鉢にパンを浸している者です。
確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
それから、みなが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、彼らに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしのからだです。」
また、杯を取り、感謝をささげて後、彼らに与えられた。彼らはみなその杯から飲んだ。
イエスは彼らに言われた。「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。
まことに、あなたがたに告げます。神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。
(ルカ2:41-43)
さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。
イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。
(ルカ22:7-23)
さて、過越の小羊のほふられる、種なしパンの日が来た。
イエスは、こう言ってペテロとヨハネを遣わされた。「わたしたちの過越の食事ができるように、準備をしに行きなさい。」
彼らはイエスに言った。「どこに準備しましょうか。」
イエスは言われた。「町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家にまでついて行きなさい。
そして、その家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる。』と言いなさい。
すると主人は、席が整っている二階の大広間を見せてくれます。そこで準備をしなさい。」
彼らが出かけて見ると、イエスの言われたとおりであった。それで、彼らは過越の食事の用意をした。
さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。
イエスは言われた。「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいたことか。
あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」
そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに分けて飲みなさい。
あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。
しかし、見なさい。わたしを裏切る者の手が、わたしとともに食卓にあります。
人の子は、定められたとおりに去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。」
そこで弟子たちは、そんなことをしようとしている者は、いったいこの中のだれなのかと、互いに議論をし始めた。
ヨハネによる福音書には、過越の祭りの描写が多く、また、最後の晩餐となった主による過越の食事の場面は、12章から17章と、6章も費やしています。特に17章は御父に向かって弟子たちを執り成すためにイエスが祈っておられる場面で、1章を割いています。一部以下引用します。
(ヨハネ2:13-22)最後の晩餐ではない、別の時の過越の祭り
ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。
そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。
そこで、ユダヤ人たちが答えて言った。「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか。」
イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。
(ヨハネ12:1)
イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
(ヨハネ12:12-18)
その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、
しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。
「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、彼らは思い出した。
イエスがラザロを墓から呼び出し、死人の中からよみがえらせたときにイエスといっしょにいた大ぜいの人々は、そのことのあかしをした。そのために群衆もイエスを出迎えた。イエスがこれらのしるしを行なわれたことを聞いたからである。
(ヨハネ12:44-48)これは、過越の祭りの直前にキリストが言われた言葉です。
また、イエスは大声で言われた。「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。
また、わたしを見る者は、わたしを遣わした方を見るのです。
わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。
だれかが、わたしの言うことを聞いてそれを守らなくても、わたしはその人をさばきません。わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。
わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。
(ヨハネ13:4-15)
夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」
イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
シモン・ペテロは言った。「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない。」と言われたのである。
イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。
あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。
それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
(聖書引用以上)
ヨハネによる福音書の12章から17章に、過越の祭りの描写と共に、キリストは弟子たちに様々な重要なメッセージを残されました。
1) 互いに足を洗い合いなさい。(13:14)
2) ユダの裏切りを預言(13:21)
3) 新しい戒め「互いに愛し合いなさい」(13:34)
4) ペテロの3度の否認を預言(13:38)
5) 「私が道であり、いのちなのです。」(14:6)
6) もう一人の助け主を遣わす。その方は真理の御霊。(14:16)
7) あなたがたに平安を残します。(14:37)
8) わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。(15:1)
9) わたしの名によって求めるものは何でも父はお与えになる。(16:23)
10) あなたがたは世にあって艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。(16:33)
11) 彼らはみな一つとなるためです。(17:21)
上記はすべて、過越の祭りの間に主が言われたことです。
ここで、「メシアニック・ジュダイズム」のダン・ジャスター師の言葉から引用します:
「過越の祭りは、エジプトのくびきから解放された、出エジプトを思い起こさせるすばらしい例祭である。それは、イスラエルが自由となり、国として誕生したことを思い起こさせる、大いなる記念すべき例祭として、他に並ぶものがない。それはすべてのメシアを信じる者に関係し、大きな意味を持つものである。出エジプトは、神の贖いの御業すべての象徴であり、さらに、最後の日の贖いと、神の王国の設立をも意味する。したがって、以下は特に認識すべき顕著な事実である。
(1)過越の子羊を犠牲としてほふること、そしてその血を扉の門柱と、かもいに塗ることは、イェシュアの死を理解する背景として、新約聖書に使われている。死の御使いが、子羊の血によって守られているイスラエル人の家々の上を過ぎ越すように、イェシュアの血によって贖われたことにより、我々も死を過ぎ越していのちへ至るのである。それゆえ、イェシュアが過越の祭りの前日に死ぬことが、ヨハネ19章にあり、主は「我々の過越の子羊」で、ほふられた者(Tコリント5章7節)と書かれている。この同じ聖句において、悪意や不正な種を取り除くよう、我々は求めれている。
「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過ぎ越しの子羊キリストが、すでにほふられたからです。ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種のはいらない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか」(Tコリント5章6-8節)。
エジプトから出る時、パン種はイスラエルの民によって食べられることはなかった。それは、パン生地が膨らむのを待つ時間がなかったからである。パン種は我々の中に住む悪を象徴するものとなり、それは我々の人生に浸透し、影響する。過越の象徴はメシア・イェシュアの意味を示すためパウロが中心的に用いているものである。
(2)5000人のイスラエル人は、超絶的な神の力にあるイェシュアによって増やされたパンを食べた。5000人を食べさせることは過越の象徴を伴い、荒野でのマナを思い起こさせる。
(3)初期の信者たち、―ユダヤ人、非ユダヤ人両方が―メシアの復活を過越の祭りに祝っている。それは八日間続く種無しパンの祭りである。主は犠牲の子羊を置き換えたのである。それは彼らの祭りの中では使われなかったのである。
(4)メシアの記念的な晩餐(最後の晩餐)は過越の食事であって、イェシュアはぶどう酒入りの杯を、贖いの杯(三杯目)とし、アフィコーメン(デザート)のパンを、主の砕かれた体と流された血とした。それゆえ、主はご自分の弟子たちに、過越の食事のパンとぶどう酒を、主の贖いとその力と意味への関与を示すものとするように命じられた。(詳細は、下記「祭りの行い方」そして、過越の祭りの式次第を参照)
これらの事実をもとに、メシアニック・ジューが過越の祭りをどう祝うかが分かる。彼らはもちろん、八日間の祝祭を喜び、エジプトのくびきからの解放を贖って下さったこと、国を誕生させて下さったこと、継続して守って下さったことを神に感謝する。八日間、ただ種無しパンだけを食べることや、特別な礼拝や、ニサンの月14日目に行なわれる過越の食事などはすべて、祝祭の喜びとなる! しかしながら、彼らの祝祭は、イェシュアのいのちが我々の中にあるすべての意味を伴うのである。パンやぶどう酒は主を示すものである。過越の祭りにおけるすべての犠牲の象徴の中に、主を見出すことができる。
これは家族にとってすばらしい例年の教えの場となる。ニサンの月14日の食事に、家族とその客が集まる。各家族はセダー(式次第)または過越の食事で、出エジプトの物語や我々のイェシュアによる贖いを読む。この祭りは八日間の復活の祝祭であり、第一日目と第七日目に仕事を休み、レビ記23章に命令されているように、コングリゲーションとして集まる。過越の祭りは、旧約聖書、新約聖書時代両方にまたがる、神の恩寵を祝うすばらしい例祭である。しかし、過越の食事の時に非ユダヤ人の客を締め出すことは、イェシュアによって清められた(心に割礼を受けた)(使徒10章)どの信者に対しても行ってはいけないというのが、我々の見解である。
過越の祭りは、神がアブラハムに、その子孫を大いなる国民とし、彼の種からメシヤをもたらすと約束されたことが成就したのを祝うものである。この喜びあふれる例祭に、いかなる律法主義も入る余地はない。
世界中の多くのメシアニック・ジューは、このようにして過越の祭りを祝うのである。(引用以上)
過越の祭りが、イスラエルの民にとって、国家の創設、出エジプトの祭に「初子の死」が小羊の血によって「過越していった」ことを記念する日だったのが、イエス・キリストの十字架という、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。(ヨハネ1:29)」の血によって、キリストを信じる者はユダヤ人であっても異邦人であっても、人類の罪ののろいが「過ぎ越していく」という祝福にあずかれる、その象徴となったのです。
過越の祭りをメシアニック・ジューはどう祝っているのか:
過越の祭りは、聖書暦ニサンの月14日の夕方、すなわち15日が始まる直前から、次のことをします。手順としては、日本人が大晦日の前にすることとほぼ一緒です:
1) 家の中を大掃除し、特に「パン種」であるイースト菌入りのものを全部まとめて捨てます。(パンはもちろん、ベーキングパウダーとか、イースト菌の入ったインスタント食品など)パン種は「罪」をシンボルとしているので、家中から「罪」を取り除くのです。(Tコリント5章6-8節参照)。
2) 過越のシンボルとなる食材を始め、ディナーを作るための食材を買いに行って、それを作ります。
3) 過越の祭りのために用意された特別な食器を出す。日本人がお正月に特別な「正月用のお重」やお皿、塗りのお椀などを各家庭にそなえてあるように、ユダヤ人も「過越用」の食器を用意している。家庭によっては、真新しい食器を使うところもある。
4) 特に、下記のような、過越のお祭りに使われる「セダープレート」を用意する。
過越のセダー(お食事)に使われる、シンボルとなる食材:(夕食として食べるディナーとは別で、お祭りに使うもの)

これは、2005年過越の祭りを京都グローリーチャーチで
行った時のもので、 食器や飾り付けは和風ですが、シンボルとなる食材はユダヤ人が使うものと一緒です。
このように、祭りのシンボルを入れたものを、
「セダープレート」と呼びます。
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これは、2009年過越の祭りを京都グローリーチャーチで行った時のもの。左手前にあるのが3枚のマッツァ(種なしパン)を入れたマッツァカバー
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セダープレートの内訳(左側の写真):
「ズロア」羊のすね骨:(写真の骨は、本物の羊の骨で、京都グローリーチャーチが用意して下さったものです。)屠られた贖いの小羊を表します。メシアニック・ジューは、これは「イエス・キリストを象徴する小羊の骨」としています。
塩水の入った鉢:(右手前の、涙型の器に入っている)エジプトで苦役にあったユダヤ人の涙を表します。
「ハローセツ」:(お盆の、一番左手前のレンガ色の食べ物)りんご、ナッツ、干しぶどうを蜂蜜とグレープジュースでまぜた甘い食べ物。エジプトで奴隷であったユダヤ人が、干しレンガを焼いたその苦役を表すと共に、主の救いを表す甘さを象徴します。(一説によりますと、これはレンガをつなぐモルタルを表すとも言われています。)
「マロア」苦菜(にがな):(中央の、桜型の器に入った薄い緑色の食べ物)大根おろしにわさびを混ぜたもの。ユダヤ人は、ホースラディッシュをすり下ろしものを使用します。これは、「マロア」というもので、エジプトで奴隷であったユダヤ人の苦しみを表します。
「カーパス」(パセリ):これもマロアと同様、ユダヤ人の苦しみを表すと共に、春の芽吹きを表します。(ユダヤ教の宗派によりますが、パセリと共に、レタスも一緒に出してを使うところもあるようです。)
「ベイツァー」(たまご):たまごは固ゆで、あるいはゆでたあとオーブンで焼きます。ローストしたゆで卵は神殿での全焼のいけにえを表すものとされています。また、またごは「喪に服している」シンボルでもあります。葬儀の直後、喪に服している人が最初に食べるものがゆで卵、あるいはローストしたゆで卵であるからだと言われています。なぜ「喪」を表すたまごが使われているかと言うと、神殿が破壊され、もはや神殿に全焼のいけにえをささげることができないこと、破壊された神殿を悼む、という意味があるようです。
(注:たまごを使うという伝統は後年になってからのもので、クリスチャンの「イースター」の影響を受けたのでは、という説もあります。また、「イースター」と同じく、バビロンやフェニキアの女神「アシュタロテ」のシンボルであるたまごから、直接影響を受けたという説もあります。そういう背景もあるので、メシアニック・ジューの中では、聖書的ではない、ということで、たまごをあえて使わない人もいます。)
ワインあるいはぶどうジュース:祭りの間、4つの杯を飲みます。4つの杯は、それぞれ、1杯目「聖別の杯」、2杯目「感謝(救い)の杯」(2杯目は「裁きの杯」とする場合もあり)、3杯目「祝福と贖いの杯」、4杯目「賛美の杯、あるいは完了の杯」です。詳細は下記「式次第(ハガダー)をご覧下さい。
「マッツァ」:(右側の写真の、白い布に覆われた、種なしパンのこと)過越の祭りの期間中(厳密に8日間)、「罪」を表すパン種のない、種なしパンを食します。これは、エジプトからユダヤ人が脱出する時、パンに種を入れてふくらます時間がなく、大急ぎでパンを焼いて、出発できる準備の状態で食事をしたことに由来しています。この「マッツァカバー」に入れられているマッツァは3枚で、ユダヤ教では「大祭司」「レビ人」「イスラエル全家」を表すとも言われていますが、メシアニック・ジューは「御父」「御子」「聖霊」を表すとしています。祭りの中で、真ん中の「御子」のマッツァを取り出し、半分に割り、片方を白い布にくるみ、どこかへ隠して「アフィコーメン」(元々はギリシャ語で「その後に来る者」あるいは単に「デザート」)とする、という伝統が、過越の祭りの中にあるからです。(すべてのユダヤ教徒は、これをします。)メシアニック・ジューは、この「アフィコーメン」こそ、「半分に割られ、白い布でくるまれ、隠される」すなわちイエス・キリストの死と葬り、そして「見つけられる」復活を表すとしています。
ニサンの月14日の夕方、15日になろうとする時、「過越の祭り」は始まります。
祭りは、基本的に家で食卓を囲む形で行われます。

伝統的な過越の食卓の様子。
http://ifitshipitshere.blogspot.com/2009/04/hip-haggadot-modern-illustrated-stories.htmlより引用
(上記のサイトは個人のブログで、この写真はGetty Imageから取られたもの)
祭りは「ハガダー」と呼ばれる式次第の通りに進められます。全部を掲載すると、非常に長くなりますので、「ハガダー」の内容については、下記ご参照下さい。

過越の「ハガダー」式次第
左は、「シオンとの架け橋」が作成した英語/日本語のハガダー
右は、バージニア州にあるオヘヴ・イスラエル・コングリゲーションで使われていたハガダー(英語)
・サフランミニストリーズHP:http://asiamessia.ld.infoseek.co.jp/feast/frame2.htm(左のフレームの「ハガダー」をクリックして下さい。全文が日本語です。なお、このハガダーは2001年頃にアップロードしたものであり、古いので、最新版ご希望の方は、内山師(treeoflife_east@hotmail.co.jp)にご連絡下さい。
・「シオンとの架け橋」上記の右側の英語/日本語のハガダーご希望の方は、石井田師(naoji@zion-jpn.or.jp)にご連絡下さい。
過越の食卓は、ディナータイムも含めて平均3時間ぐらいです。正統派ユダヤ教徒になると、6時間ぐらいかかるそうです。

Joel Baker作成の、イエスの「最後の晩餐」時の過越の食卓図
左端に、ヨハネ、次にイエス、そして、ユダ・イスカリオテが座り、
ヨハネのお向かいにペテロが座っていたといいます。
食卓は「コ」の字型で、当時のローマ帝国下の風習で、全員が寝っ転がって(!)
片肘ついてお食事したという。
過越のお祭りの中には、非常に豊かなイエス・キリストの死による贖い、そして復活と、千年王国への希望が語られており、過越の祭りはクリスチャンも祝うと、よりいっそうイエス・キリストのお働き、みわざ、意味がよく分かるようになると思います。
教会で行われている「聖餐式」の源流は、この「過越の祭り」にあることを、理解する助けとなります。
過越の祭りのスケジュール:
過越の祭りは8日間で、以下がスケジュールです。
ニサンの月14日の日没・第一日目:過越の祭りの食卓(日没後)場合によってはシナゴーグへ行って礼拝する
ニサンの月15日の日没から21日まで・第二日目〜第七日目:種を入れないパンの祭り(普段通りの生活を送るが、イースト菌入りのものは一切口にしない)
もし、この間に安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)があると、その時は別のお祭り「初穂の祭り(ヨム・ハ・ビクリーム)」です。詳細は「初穂の祭り」をご参照下さい。(過越の祭りの第2日目、ニサンの月16日が「初穂の祭り」とする場合もあり。)
ニサンの月21日・ 第八日目:「聖なる会合の日」で、シナゴーグあるいはコングリゲーションに行って礼拝する。
そして、過越の祭りの期間が終わります。
参考文献:
聖書(新改訳)
シオンの喜びHP「主の例祭」よりhttp://joyofzion.web.fc2.com/feasts/feastindex.htm
京都グローリーチャーチ「過越の祭り」よりhttp://www4.ocn.ne.jp/~uzumasa/top.html
メシアニック・ジュダイズム ダン・ジャスター著(マルコーシュ・パブリケーション)
シオンとの架け橋発行「過越の祭り・式次第」
Ohev Yisrael Messianic Jewish Congregation発行「Passover Hagaddah」
サフランミニストリーズHP「主の七つの例祭」http://asiamessia.ld.infoseek.co.jp/feast/frame2.htm
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