大贖罪日「ヨム・キップール」
聖書暦第7月、西洋暦9-10月頃


エルサレムの西壁に集まって祈りを捧げる
http://www.jewishlayout.com/Images/Jewish_Holidays/Yom_Kippur/

大贖罪日(ヨム・キップール)は、ユダヤ人にとって最も聖なる、厳かな日:

大贖罪日は、聖書暦第7月(ティシュリの月)の10日目に当たります。ラッパを吹き鳴らす祭りから10日間の悔い改めの期間中、ユダヤ人は自己検分を行い、大贖罪日に備えます。そして、この最も聖なる日に、人々は24時間の断食を行い、主に祈るのです。

敬虔なユダヤ人はバー・ミツバ(男子の成人式で13歳)あるいはバット・ミツバ(女子の成人式で12歳)以上の健康な人は皆断食(食事と水)を行います。(健康に問題がある人、高齢者、妊娠している人などは行いません。)

メシアニック・ジューもこの時、他の未信者ユダヤ人と共に断食を行う人が多いです。イスラエルではこの日、特にエルサレムでは街中の商店が閉まり、道も車一台通らなくなり、子どもたちが自転車で移動するのが目に付きます。

聖書にある「大贖罪日」:

(出エジプト30:10)
アロンは年に一度、贖罪のための、罪のためのいけにえの血によって、その角の上で贖いをする。すなわち、あなたがたは代々、年に一度このために、贖いをしなければならない。これは、主に対して最も聖なるものである。

(レビ16:2-20)
主はモーセに仰せられた。「あなたの兄アロンに告げよ。かってな時に垂れ幕の内側の聖所にはいって、箱の上の『贖いのふた』の前に行ってはならない。死ぬことのないためである。わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現われるからである。
アロンは次のようにして聖所にはいらなければならない。罪のためのいけにえとして若い雄牛、また全焼のいけにえとして雄羊を携え、聖なる亜麻布の長服を着、亜麻布のももひきをはき、亜麻布の飾り帯を締め、亜麻布のかぶり物をかぶらなければならない。これらが聖なる装束であって、彼はからだに水を浴び、それらを着ける。
彼はまた、イスラエル人の会衆から、罪のためのいけにえとして雄やぎ二頭、全焼のいけにえとして雄羊一頭を取らなければならない。
アロンは自分のための罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする。
二頭のやぎを取り、それを主の前、会見の天幕の入口の所に立たせる。
アロンは二頭のやぎのためにくじを引き、一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためとする。
アロンは、主のくじに当たったやぎをささげて、それを罪のためのいけにえとする。
アザゼルのためのくじが当たったやぎは、主の前に生きたままで立たせておかなければならない。これは、それによって贖いをするために、アザゼルとして荒野に放つためである。
アロンは自分の罪のためのいけにえの雄牛をささげ、自分と自分の家族のために贖いをする。彼は自分の罪のためのいけにえの雄牛をほふる。
主の前の祭壇から、火皿いっぱいの炭火と、両手いっぱいの粉にしたかおりの高い香とを取り、垂れ幕の内側に持ってはいる。
その香を主の前の火にくべ、香から出る雲があかしの箱の上の『贖いのふた』をおおうようにする。彼が死ぬことのないためである。
彼は雄牛の血を取り、指で『贖いのふた』の東側に振りかけ、また指で七たびその血を『贖いのふた』の前に振りかけなければならない。
アロンは民のための罪のためのいけにえのやぎをほふり、その血を垂れ幕の内側に持ってはいり、あの雄牛の血にしたようにこの血にもして、それを『贖いのふた』の上と『贖いのふた』の前に振りかける。
彼はイスラエル人の汚れと、そのそむき、すなわちそのすべての罪のために、聖所の贖いをする。彼らの汚れの中に彼らとともにある会見の天幕にも、このようにしなければならない。
彼が贖いをするために聖所にはいって、再び出て来るまで、だれも会見の天幕の中にいてはならない。彼は自分と、自分の家族、それにイスラエルの全集会のために贖いをする。
主の前にある祭壇のところに出て行き、その贖いをする。彼はその雄牛の血と、そのやぎの血を取り、それを祭壇の回りにある角に塗る。
その残りの血を、その祭壇の上に指で七たび振りかける。彼はそれをきよめ、イスラエル人の汚れからそれを聖別する。
彼は聖所と会見の天幕と祭壇との贖いをし終え、先の生きているやぎをささげる。

(レビ記 23:23-32)
ついで主はモーセに告げて仰せられた。
「イスラエル人に告げて言え。第七月の第一日は、あなたがたの全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合である。 どんな労働の仕事もしてはならない。火によるささげ物を主にささげなさい。」
ついで主はモーセに告げて仰せられた。
「特にこの第七月の十日は贖罪の日、あなたがたのための聖なる会合となる。あなたがたは身を戒めて、火によるささげ物を主にささげなければならない。 その日のうちは、いっさいの仕事をしてはならない。その日は贖罪の日であり、あなたがたの神、主の前で、あなたがたの贖いがなされるからである。 その日に身を戒めない者はだれでも、その民から断ち切られる。 その日のうちに仕事を少しでもする者はだれでも、わたしはその者を、彼の民の間から滅ぼす。 どんな仕事もしてはならない。これは、あなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠のおきてである。 これは、あなたがたの全き休みの安息である。あなたがたは身を戒める。すなわち、その月の九日の夕方には、その夕方から次の夕方まで、あなたがたの安息を守らなければならない。」

(レビ記25: 9)
あなたはその第七月の十日に角笛を鳴り響かせなければならない。贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。

(民数記29: 7-11)
この第七月の十日には、あなたがたは聖なる会合を開き、身を戒めなければならない。どんな仕事もしてはならない。
あなたがたは、主へのなだめのかおりとして、全焼のいけにえ、すなわち、若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊七頭をささげなさい。これらはあなたがたにとって傷のないものでなければならない。
それにつく穀物のささげ物としては、油を混ぜた小麦粉を、雄牛一頭につき十分の三エパ、雄羊一頭につき十分の二エパとする。
七頭の子羊には、一頭につき十分の一エパとする。
罪のためのいけにえは雄やぎ一頭とする。これらは贖いのための罪のためのいけにえと、常供の全焼のいけにえ、それにつく穀物のささげ物と、これらにつく注ぎのささげ物以外のものである。
(聖書引用以上)

幕屋や神殿があった時代、大祭司は年に1度、罪のためのいけにえからとられた血を持って至聖所に入り、祭壇の角に血を塗り、契約の箱に向かって血を注ぎます。そして、贖いのふたに雄牛の血をふりかけます。その手順を間違えるとすぐさま死が訪れるという、大変な緊張が伴うもので、万が一大祭司が至聖所で亡くなった場合にそなえ、大祭司の足にはひもがくくりつけられ、至聖所からひっぱりだせるようにしたという。

そして、二匹の山羊を取り、くじを引き、一方を罪のためのいけにえとし、もう一方を「アザゼル」とします。アザゼルとなった山羊は、大祭司が手を山羊の頭において祈り、民の罪をその山羊へ移します。そして、荒野に放ちました。実際には、荒野に放つ時、崖から落として必ず戻ってこないようにしたと言われています。

この日はイスラエルの民は全員、「身を戒める」つまり断食をして、一切の労働をしませんでした。

新約聖書での「大贖罪日」、キリストによる成就:

(ヘブル7:27-28)
ほかの大祭司たちとは違い、キリストには、まず自分の罪のために、その次に、民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はありません。というのは、キリストは自分自身をささげ、ただ一度でこのことを成し遂げられたからです。
律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことばは、永遠に全うされた御子を立てるのです。

(ヘブル9:7-15)
第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけはいります。そのとき、血を携えずにはいるようなことはありません。その血は、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。
これによって聖霊は次のことを示しておられます。すなわち、前の幕屋が存続しているかぎり、まことの聖所への道は、まだ明らかにされていないということです。
この幕屋はその当時のための比喩です。それに従って、ささげ物といけにえとがささげられますが、それらは礼拝する者の良心を完全にすることはできません。
それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いに関するもので、新しい秩序の立てられる時まで課せられた、からだに関する規定にすぎないからです。
しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
もし、やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。

(ヘブル9:23-10:20)
ですから、天にあるものにかたどったものは、これらのものによってきよめられる必要がありました。しかし天にあるもの自体は、これよりもさらにすぐれたいけにえで、きよめられなければなりません。
キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。そして、今、私たちのために神の御前に現われてくださるのです。
それも、年ごとに自分の血でない血を携えて聖所にはいる大祭司とは違って、キリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。
もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。
そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
律法には、後に来るすばらしいものの影はあっても、その実物はないのですから、律法は、年ごとに絶えずささげられる同じいけにえによって神に近づいて来る人々を、完全にすることができないのです。
もしそれができたのであったら、礼拝する人々は、一度きよめられた者として、もはや罪を意識しなかったはずであり、したがって、ささげ物をすることは、やんだはずです。
ところがかえって、これらのささげ物によって、罪が年ごとに思い出されるのです。
雄牛とやぎの血は、罪を除くことができません。
ですから、キリストは、この世界に来て、こう言われるのです。「あなたは、いけにえやささげ物を望まないで、わたしのために、からだを造ってくださいました。
あなたは全焼のいけにえと罪のためのいけにえとで満足されませんでした。
そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、神よ、あなたのみこころを行なうために。』」
すなわち、初めには、「あなたは、いけにえとささげ物、全焼のいけにえと罪のためのいけにえ(すなわち、律法に従ってささげられる、いろいろの物)を望まず、またそれらで満足されませんでした。」と言い、また、「さあ、わたしはあなたのみこころを行なうために来ました。」と言われたのです。後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。
このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。
また、すべて祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。
しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。
キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。
聖霊も私たちに次のように言って、あかしされます。
「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぼうとしている契約は、これであると、主は言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いに書きつける。」またこう言われます。
「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」
これらのことが赦されるところでは、罪のためのささげ物はもはや無用です。
こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。
イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。
(聖書引用以上)

ヘブル人への手紙には、キリストこそ大祭司その人であり、しかも罪のためのいけにえの血をも提供し、天の至聖所において完全なる贖いのわざを完成された方であると強調しています。

そして、キリストが再臨される日を象徴するのが、この「大贖罪日」であるとメシアニック・ジューは信じており、栄光を帯びた主が地上に降り立ち、千年王国をうち立てられ、この世を裁かれる日でもあるのです。

そういうわけで、メシアニック・ジューの中には、「すでにキリストが一度きりの大贖罪のわざを行って、それは完成したのだから、地上で大贖罪日を祝わなくともいいのでは」という意見もあるようですが、大半は「他のユダヤ共同体と共に祈る姿勢、そして毎年の大贖罪日をキリストのわざの完成を記念する日として、毎年断食して主のわざを覚えようではないか。」と積極的に断食する人々も多いのです。それは、まだ成就していないもう一つのみわざ、すなわち、「キリストが再臨し、全世界を裁かれる」という大いなる恐るべき日をおぼえるために、人々は断食し、キリストの御名によって祈るのです。

紀元30年頃の大贖罪日に起こった不思議な出来事:

タルムードには、紀元30年頃、すなわち神殿が破壊される紀元70年のちょうど40年前の大贖罪日に、不思議な出来事が起こったことを記録しています。

エルサレム・タルムード:
「神殿崩壊の40年前、西側にあるともしび(注:メノラーのこと)が消えてしまう、赤いひもが赤いままとなる、主の「くじ」が必ず左側になる、神殿の扉を夜に閉めると、朝になると勝手に開いている。」(Jacob Neusner, The Yerushalmi, p.156-157)

バビロニアン・タルムード:
我らのラビが教えることには、「神殿崩壊に至る40年間、主の『くじ』が右手に来なくなった、赤いひもが白くならなくなった、西側のともしびが点灯しなくなった、そして神殿の扉が勝手に開いてしまう。」(ヨマ39b)

「くじ」の奇跡
ここにある「くじ」は、大贖罪日に二匹の山羊のどちらかを「主のもの」と「アザゼル」に分けるために行われるもので、白い石と黒い石が使われました。紀元30年までの200年間は、白い石、黒い石を選ぶ確率は半々でしたが、紀元30年から70年に至る40年間は、必ず左手に黒い石が来るようになったと言われています。これは、確率的にもありえないものでした。何でもその確率は、5,479,548,800分の1という、実際に計算した方がおられました。

「赤いひもが白くならない」
この「赤いひも」は、大贖罪日にアザゼルに当たった山羊の角に結びつけられたもので、アザゼルの山羊を荒野に放つ時、そのひもは神殿の扉に結びつけられます。そして、主が大贖罪日の民の悔い改めを受け入れた証として、そのひもが白くなるのが恒例でした。

(イザヤ1:18)
「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。 」

しかし、紀元30年から40年間、そのひもは赤いままとなりました。すなわち、神がそのいけにえを「受け入れなくなった」ことを示していたのです。

神殿の扉が勝手に開く
この神殿の扉は、ものすごく大きく重たいもので、一度閉めたら勝手に開くことはありえないものでした。しかし、タルムードにはこのような記述が残されています。

「ラバン(ラビのこと)ヨハナン・ベン・ザッカイは神殿に向かって言いました。『神殿よ、ああ、神殿よ。なぜ汝は我らを恐れさせるのか。汝が破壊されることを我らは知っているからだ。それは、このように書かれているからだ。『レバノンよ。おまえの門をあけよ。火が、おまえの杉の木を焼き尽くそう。(ゼカリヤ 11: 1)』」(ソタ6:3)

このヨハナン・ベン・ザッカイという人物は、サンヘドリン(ユダヤ最高法院)の指導者で、紀元70年に神殿が破壊された後、サンヘドリンをヤブネへ移した人物です。(詳細はメシアニック・ジューの歴史年表をご覧下さい)

神殿の扉が開いたことは、神の臨在がそこから去ったということ、そして、大祭司だけでなく、誰でも至聖所に至る入り口から入れることとなったのを表しているのです。

神殿のともしびが消えてしまう
神殿のともしびは七枝の燭台(メノラー)で、西側と東側に数本ずつ置かれていました。特に西側のメノラーは24時間絶やさず灯し続けなければならないものなので、祭司たちは常に火が消えないように余分のオリーブ油を用意し、注意を払ってきました。(東側のメノラーは、一部24時間灯し続けるものと、日中は消えていて、夜になると点灯するものとに分かれていたようです。)

しかし、神殿崩壊に至る40年間、紀元30年頃から、どんな努力や注意を払っても、どうしても西側のメノラーだけが灯せなくなってしまったのです。すなわち、神の臨在が神殿から去ったということをここでも示しているのです。

紀元30年、それはキリストが十字架にかけられた年でした。キリストによる贖いのわざの完成により、神殿がもはや不要になったという、恐るべき証が、タルムードに記録されているのです。(以上Solomon's TempleのTalmudic Evidence for the Messiah at 30 C.E. http://www.3dbibleproject.com/en/temple/details/evidence.htmから引用)

ヨム・キプール(大贖罪日)「メシアニック・ジュダイズム」から引用:

ヨム・キプールはユダヤの一年の中で最も聖なる日である。古代イスラエルでは、ヨム・キプールは全国民の贖いが行われた日であった(レビ16章)。この日、大祭司が犠牲の血を持って至聖所に入り、人々の罪の贖いを行った。彼は契約の箱に血を振りかけた。ヨム・キプールで最も顕著な儀式、それは贖罪の山羊(スケープゴート)である。祭司はその動物の頭に手を置いた。それは人々の罪を持ち去る象徴であった。この日は唯一トーラーにおいて、断食を定めた日である。この日はイスラエル全体として、罪の悔い改めのため、「自らを苦しめ」るのである。伝統的なユダヤ教では、神に赦しを願うための、多くのすばらしい悔い改めの祈祷がある。いくつかメシア的な意味を伴うものもある。例えば、メシアの功績によって、罪の赦しが求められるのである(注6)。また、アブラハムがイサクを犠牲として捧げたことによっても、罪の赦しが求められる。(メシアニック・ジューは、それがメシアであるイェシュアの犠牲の予表であることを知っているのである)。(同様のことは日々の礼拝の場合にもあてはまる)。

ヨム・キプールはメシアニック・ジュダイズムにとって中心的な意味を持つ。我々は、祈りや祭日を守ることによって、贖いを得ようとするものではない。我々の大祭司、我々の贖い、我々の贖罪の山羊はメシアであるイェシュアなのである!ヘブル書の中心的な章は、イェシュアをヨム・キプールの観点から詳細に説明しているが、これらの章は現代の我々にとっても重要なものである。

ヨム・キプールは我々にとって、いくつかの意味を伴う。

@この日は、祭司や犠牲の聖書的意義が、イェシュアによって成就したことを祝う中心的な祝祭なのである。
Aこの日は祈りと断食、そして我々の民、イスラエルのためのとりなしの日である。
Bこの日は自己検分と、我々の人生において、罪から立ち帰る日である。聖書は我々に「自分自身を省みよ」(Tコリント11章28節、Tヨハネ1章8-9節)と命じている。

この日は共同体の中で賛美をし、日常から離れて、過去の年月を省みる日である。どこで神の導きを見失ったであろうか。どこが成長しただろうか。どこで滑り落ちたであろうか。ヤコブ4章6-11節が命じているように、神に対して我々は悔い改め、罪から立ち帰るのである。告白と赦しが、イェシュアにあって我々の日常を形成する。しかし、個人として、また共同体として、この目的のため、この時を特別な時期とすることに価値を置くのである。

ヨム・キプールの礼拝はメシアによる成就に重きを置き、同時に上記の要素も含む。断食を終える時は特別な喜びの時となり、イェシュアによる赦しを祝うのである。

ヨム・キプールに関係して、特に誤解を招きやすい二点を指摘しておくべきであろう。一つは、最初の夜に行われるコル・ニドレの礼拝でなされる「コル・ニドレ」(すべての誓い)という唱和である。この特別な唱和は、過去から将来にわたって我々が誓い、さらにそれを破ってしまうことを、赦してもらうというものである。過去にユダヤ人は、意図して誓いを破るのではなく、激しい脅迫や拷問によって、神に忠実であれば決して守れない誓いをさせられた。しかし、メシアニック・ジューには神の恩寵の約束があり、全く真実であれというイェシュアからの命令を与えられている。我々がヨム・キプールを守り行う時は、この点を強調する必要がある。

二つ目に、ロシュ・ハシャナとヨム・キプール両方の礼拝で、「命の書」に(新年も)自分の名が記録されるように祈るというものがある。イェシュアを信じる者は、時々この祈りとロシュ・ハシャナでの伝統的なユダヤ式挨拶、「あなたの名が命の書に刻まれるように……」、というのに違和感を覚えることがある。

ユダヤ教の中で、「命の書」はいくつかの説明がある。ある人々は、それは永遠の命の書を象徴するものだと言い、それは黙示録に書かれてある本と同じものだという。しかし、新しい一年の間、命と健康が守られる人々の名前を神が記されるのが「命の書」ではないか、という人々もある。もし後者の意味で理解するならば、前述のような新年の挨拶をしても問題はないだろう。(引用以上)

ヨム・キップールの過ごし方:

ヨム・キップールの前夜祭として「コル・ニドレ」(すべての誓い)という日があります。ヨム・キップールが始まる日没前に、人々はシナゴーグに集まります。そして、カンター(祈祷者)が以下のように祈ります。(アラム語で祈るそうです)

「私たちが行うであろうすべての個人的な誓い、このヨム・キップールと次のヨム・キップールの間で行うすべての誓約について、私たちは公式にそれを破棄します。それらはすべて撤回され、破棄され、無効となり、堅く立てられることのないように祈ります。私たちの個人的な誓約、誓いは、それが正式な誓約や誓いとならないように祈ります。」

そして指導者と会衆は以下の祈りを一緒に3回繰り返します。

「イスラエルのすべての人々が許されますように。我々の間に住む異邦人も含まれますように。それは、すべての人々に咎があるからです。」

そう唱和した後、ヨム・キップールの夕刻の礼拝へと移ります。

なぜこのような「誓約の破棄」をするのかといいますと、過去の歴史の中で、ユダヤ人が強制的にキリスト教に改宗させられ、心にない誓いをさせられた経緯により、神に「心にない誓いをさせられて、それがどうか破棄されますように」と悔い改め、赦しを求める祈りとして定着したのです。

翌朝と昼過ぎにも礼拝があり、特に正統派ユダヤ教では、ヨム・キップール前夜祭のコル・ニドレ、翌朝、昼、夕刻の断食終了(breakfast)まで、シナゴーグで礼拝します。

夜、日がすっかり暮れてヨム・キップールが終了すると、皆で断食終了(breakfast)のお食事を取ります。家庭ごとに自宅でする場合もあれば、シナゴーグで軽食をとる場合もあります。

ヨム・キップールの礼拝には、様々な伝統や祈りがありますが、メシアニック・ジューが行わない風習もありますので、ここではそれを割愛します。

2008年の調査で、イスラエルの63%の人はヨム・キップールに断食するという結果が出ています。宗教的、世俗的問わず、ヨム・キップールは最も聖なる日として、人々は厳粛に受け止めている様子がうかがえます。

 


http://www.dodgepowerwagonm880.com/より引用
1973年ヨム・キップール戦争時の写真

ヨム・キップール戦争(第四次中東戦争):

イスラエル人にとって、ヨム・キップールは、「大贖罪日」だけでなく、1973年の第四次中東戦争を記念する日となりました。1973年10月6日、ちょうどヨム・キップールの日に、エジプトとシリアの連合軍が奇襲攻撃をしかけてきました。開戦から3日間でイスラエル軍は戦車400両以上、死傷者3000人を越す大損害を被りました。

ゴラン高原のシリア軍は1,400両の大戦車団を投入し、イスラエル領内になだれ込もうとしました。それに対するイスラエル側は戦車180両と圧倒的に不利でしたが、何とそこでイスラエル軍は二日間前戦を維持したのでした。Against All OddsというDVD(Bill McKay製作)によりますと、当時ゴラン高原の前戦にいたアヴィ・ドル・カハラニという指揮官が、たった7両の戦車団を率いて迫り来るシリア軍をせき止めようと前進しました。カハラニが前進命令を出しても、恐れをなした他の戦車が前へ進まないにもかかわらず、彼は前進しました。すると、シリア軍が突如恐怖に駆られ、退却を始めたのでした。アメリカからの援助により、イスラエル軍の反撃が始まったからでした。

一方、ニクソン政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官、兼、国務長官であったキッシンジャーは、当時のイスラエル首相であったゴルダ・メイア氏(女性の首相です)の再三の軍事援助の要請を断っていました。「イスラエル人は少し『出血』した方がいい」と彼は言ったと言われています。キッシンジャーが受け付けてくれないことにたまりかねたゴルダ・メイア氏は直接ニクソン大統領に電話をかけました。午前3時の電話で、メイア氏は「今援助してくれなければ、ユダヤ人は生き残ることはできない。」と必死の嘆願したそうです。その電話を受けて、ニクソン氏は「まるで母親の声を聞いているようだ。」と言ったそうです。

ニクソン氏は幼い頃、母親から旧約聖書を読んで聞かせてもらったことを思い出し、母親は幼い頃のニクソン氏にこう言ったとメイア氏に話しました。「リチャード。いつの日か、あなたは高い地位に就き、ユダヤ人を救い出すのです。もしその日が来たら、あなたはどんなことをしてでも、その地位を用いて助けなければなりません。」さらにニクソン氏は「あなたからの要請を聞いて、私は初めて、なぜ今自分がアメリカ大統領であるかを理解したように思います。」と答えたそうです。そして、急遽イスラエルを救うべく命令を出したという。その軍需輸送作戦は第二次世界大戦以来の規模で、一晩で必要な軍需物資、兵器、人材を前戦に投入したと言われています。ニクソン氏はユダヤ人嫌いで有名ですが、この奇跡的なタイミングとニクソン氏の決断により、ヨム・キップール戦争を勝利に導き、イスラエルを滅亡から救ったといいます。

以上のエピソードは、Against All OddsというDVD(Bill McKay製作)American Trademark Pictures LLCから引用したものです。上記のカハラニという戦車団の指揮官は、1967年の六日戦争の時彼が乗っていた戦車が攻撃を受け、彼は火だるまになって戦車からはい出して、全身に大やけどを負い、奇跡的に生き延びた人です。彼は1年に及ぶ過酷な治療を経て、再び戦車隊に戻り、1973年のヨム・キップール戦争で前戦指揮官として立ったという、イスラエルでは有名な英雄だそうです。(カハラニ氏本人がこのDVDの映像に映っておられたので、2007年の段階ではお元気に生きておられるようです。)

ヨム・キップールは、イスラエル人にとっては、大贖罪日だけでなく、イスラエルが滅亡の危機から救われた日でもあるのです。

参考文献:
聖書 新改訳
メシアニック・ジュダイズム ダニエル・ジャスター著(マルコーシュ・パブリケーション)
Solomon's TempleのTalmudic Evidence for the Messiah at 30C.E. 
http://www.3dbibleproject.com/en/temple/details/evidence.htm
Against All Odds DVD(Bill McKay製作)American Trademark Pictures LLC
Wikipedia "Yom Kippur" "Kol Nidre"

メシアニック・ジューが守る「主の例祭」の目次へ戻る
ホームへ戻る
Copyright© A Bridge Between Zion and Japan, Joy of Zion: All Rights Reserved