ハヌカの祭り
ハヌカの祭りとは: ハヌカはヘブライ語で「奉献、献納」という意味で、ハヌカの祭りは別名「光の祭典 Festival of Light」や、「奉献あるいは献納の祭り Feast of Dedication」とも呼ばれます。キスレヴの月(第9月)25日から8日間行われる祭りです。西洋暦で、ちょうど12月から1月にかけて行われる冬のお祭りで、この祭りはレビ記23章に書かれている「主の7つの例祭」とは別に、歴史的な出来事によって生じた祭りの一つです。(もう一つはプリムの祭り) ハヌカの祭りの由来: 紀元前167年、当時イスラエル・パレスチナ地方はギリシャ系のセレウコス王朝の支配下にありました。この頃のユダヤ神殿の大祭司職は、セレウコス王朝に貢納金を支払って得る地位であり、アロンの家系でない者が勝手にその職を継いでいました。当時の王アンディオコス4世エピファネスがエジプト遠征中、大祭司イアソンは、イアソンを上回る貢納金を支払ったメネラオスによって大祭司職を奪われてしまいました。彼は、エピファネス王死亡という情報を得てメネラオスに対して蜂起し、一時的にエルサレムを占領しましたが、破れて死亡しました。ところが、イアソンの挙兵が「ユダヤ人による反乱」ということとなり、アンティオコス4世はエジプトからエルサレムへ進軍し、神殿を略奪し多数のユダヤ人を殺害し、また奴隷として連れ去りました。そして、ユダヤ教に基づく生活風習を禁止し、安息日を守るもの、割礼をほどこす者は死刑としました。さらに、エルサレムの神殿はゼウス神殿に変えられました。 地方都市モディンの祭司であったマタティア(ハスモン家)は、ゼウス神殿へ奉献を命じたセレウコス朝の役人に対しそれを拒絶し、役人とその仲間となっていた親セレウコス王朝のユダヤ人らを殺害し、マタティアと5人の息子達(ヨハネ、シモン、ユダ、エレアザル、ヨナタン)と共に山中に隠れ、集まってきた人々を組織し、本格的な反乱を起こしました。 マタティアの死後、息子のユダ(ユダ・マカバイ)は、セレウコス朝からの独立を目指す戦争を開始しました。ユダと兄弟たちはセレウコス朝の将軍ゴルギアスをエマオの戦いで破り、続いてベト・ズルでリュシアスも撃破し、紀元前165年末にはエルサレムを包囲してセレウコス朝軍を要塞に封じ込め、エルサレム市内に入場しました。そして紀元前165年12月25日、エルサレム神殿からヘレニズム的な司祭を追放し、異教の祭壇を撤去することで神殿を清め、再びヤハウェ神に奉納を行った。この出来事を今も記念するのがハヌカーと呼ばれるユダヤ教の祭です。 マカバイ戦争の結果、ユダ・マカバイの弟シモンは「偉大なる大祭司」や「将軍」などの称号を用いるほど強力な支配権を握り、紀元前142年にはセレウコス朝軍のエルサレムからの完全撤退をみました。この年をハスモン家元年とする独自のコインを発行し、ローマとの間に外交関係を結ぶなどして、ユダヤは事実上の独立王国となりました。(Wikipedia 「マカバイ戦争」から抜粋) このマカバイ戦争については、旧約聖書外典の「マカバイ書」に詳細に書かれています。新共同訳聖書に掲載されていることもあります。また、マカバイ戦争が単純な独立戦争であったのではなく、ヘレニズムの影響を多大に受けた上流階級と、市民としての権利を獲得できなかった下層民との軋轢の結果として、ユダヤ人の中での内乱的な要素も強い戦争であったようです。 タルムードの記述によりますと、ユダたちが神殿を清めて、神殿の庭に置かれているメノラー(七枝の燭台)に火を灯そうとすると、オリーブオイルが1日分しかなかったのですが、それが奇跡的に8日間燃え続けたという伝説があり、それにちなんで、ハヌカ用の九枝の燭台「ハヌキヤ」が考案されたのです。 唯一、新約聖書に記述があるハヌカの祭り: 古代のユダヤ文献で、旧約聖書外典である「マカバイ書」以外の文献で最古のものは、タルムードやミシュナーではなく、何と新約聖書なのです。 (ヨハネ10:22-39) ヨハネによる福音書は、非常に「主の例祭」や、このハヌカの祭りのように、「祭り」に関する記述が非常に多く、ユダヤ人が行う祭りを理解しないと、ヨハネによる福音書を正しく理解することは難しいでしょう。ここで、キリストは非常に重要な言葉を言っています。 「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。 わたしと父とは一つです。」(ヨハネ10:28-30) ここではっきり、キリストは天の創造主たる御父と「一つ」であるとおっしゃっています。神と「一つ」であるという宣言は、当時の律法学者たちにとって、どれほど驚くべき、冒涜ともとれる宣言であったでしょうか。キリストの神性を強く表している言葉です。 ハヌカ―献納の祭り「メシアニック・ジュダイズム」から引用: この祭りはマカバイの時代、イスラエルが、当時の圧政的なシリア―ギリシャの支配者から、驚くべき勝利を得たことを祝う祭りである。シリア―ギリシャ帝国はイスラエルを支配するだけでなく、イスラエル独特の聖書に忠実な宗教を破壊しようと試みた。彼らは異教の伝統と儀礼をイスラエルに押し付け、神殿にもそれを強要した。多くの人々が信仰によって殉教した。そこで、紀元前160年、マカバイ一家は大いなる反乱を起こし、最終的には神殿の再献納と、400年間のイスラエルの独立を勝ち取ったのである。初冬のキシュレヴの月25日に祝われるハヌカの祭りは、この神殿の再献納を記念するものである。この八日間のお祭りの中で顕著なのが、八枝のメノラー(燭台)のロウソクに火を灯すことである。毎日一つずつロウソクが灯される。これは、記録にある神殿の燭台での奇跡を記念するものだ。神殿の燭台が灯された時、たった一日分の油しかなかったのに、新しい油が供給できるまで、火は八日間も燃え続けたのである。メシアニック・ジューはこれらの勝利の日々を他のユダヤ共同体と共に祝う。彼らはマカバイ書から物語を語り、ハヌカの劇を通して、その時を再体験するのである。 メシアニック・ジューは、この祭りで、イェシュアの深遠なる教え、自分自身を「良い牧者」とし、主の「声を聞分け」、主を知り、主についてくる羊たち(ヨハネ10章)との関係について語られたことを思い起こす。 ほとんどのクリスチャンが、この同じ時期にクリスマスを祝うのを見逃すことはできない。メシアであるイェシュアがこの世に来られたことをお祝いするという、クリスマスの聖書的意義に関して、メシアニック・ジューは違和感を持ってはいないが、クリスマスそのものには違和感を覚える。その第一の理由は、大抵の神学者たちが、この時がメシアのお生まれになった時ではないと考えているからである。一般に、この日は古い異教の冬至の祭りに由来していると言われている。異教徒の考えにより、魔術によって春が確かに復活するのを象徴するのがこの日であった。そのような異教的なものに対抗するために、教会がこの日をクリスチャンの祝祭、つまり主の生誕記念日に置き換えたのではないかという。しかし、まだ違和感は残る。清教徒クリスチャンたちは、16-17世紀にクリスマスを祝うことを禁止した。それは、クリスマスが異教的なつながりがあると考えたからである。 実のところ、ハヌカはユダヤ人共同体の中心的なお祭りではないが、この祭りは強調される傾向がある。それは、プレゼントを与える祝祭であるクリスマスの影響に対抗するためである。話はここで留まらない。最近ジーン・ダニエロウ枢機卿(Jean Danielou)は、(太陽暦の)12月25日がメシアの生誕日とされた理由について、見解を示している。それによると、異教的つながりも考えられるが、むしろ、この日の起源は(太陰暦)キシュレヴの月25日がすでにメシアニック・ジューにとって、大いなる重要な意味を持っていた、という事実に求めるべきだというものである。後の時代にメシアニック・ジューとの関係が失われると、キシュレヴの月25日は12月25日と同一視され、イェシュアの生誕日となった。ダニエロウの意見によれば、キシュレヴの月25日は長老ヤコブの生誕日だという。 この、日付の問題と、それによって引き起こされる違和感に対して、解決策はあるのだろうか。イェシュアの生誕日を祝い、また主のご生誕に関して非常に深遠な事柄を記録した御言葉(マタイ1-2章、ルカ1-2章)を、祝祭的な場で朗読したいという要求を満たす解決策はあるのだろうか。 現代と往年のメシアニック・ジューが、イェシュアの復活を祝っている慣習を見てみると、そこに解決策のヒントを得られるのではないか。メシアニック・ジューは復活をニサンの月14日、つまり過越の祭りに関連して祝っている。宗教的な儀礼は、ユダヤ太陰暦に従って守っているわけである。そこで、メシアの誕生の日に関して合意がないことに気付けば、我々はそれに対し、新しい創造的な提案を出すことができる。 ハヌカと、そのことを通した神によるユダヤ共同体の保持が無ければ、イェシュアは決して地上には来られなかった。ハヌカは光の祝祭で、イェシュアは世の光であられた。つまりメシアニック・ジューにとって、ハヌカの最高潮は、イェシュアの誕生を祝うことではないだろうか。しかし、この祭りはユダヤの太陰暦であるキシュレヴの月25日に決めるのがいいだろう。この時、主のご誕生の物語を読むのもいいのではないだろうか。また、ハヌカの時期に、エルサレムにおいて、メシアニック・ジュー共同体の、大いなるリーダーであった長老ヤコブの人生を思い起こすのもいいと考える。メシアニック・ジューは、イェシュアの光とこれらすべての出来事に関する、物語の本や祝祭のアイディアを作り出す必要がある。それらの物語の本は、家族やコングリゲーションにとって助けとなるだろう。これはただの提案であるが、それには価値があると信じて提案するのである。(引用以上) クリスマスの起源には諸説ありますが、当時すでにユダヤ人信者たちがハヌカを、ちょうど冬至あたりに祝っていたことから、その影響もあって、クリスマスが導入される一つのきっかけとなったという、ジーン・ダニエロウ枢機卿の意見があります。そういうわけで、クリスマスが単にサンタクロースやクリスマスツリー、プレゼントを渡すだけの「この世的な祝い方」だけでなく、ハヌカ−光の祭典−「世の光であるキリスト」を覚える日として、ハヌカについても学びつつ、クリスマスをお祝いすることは適切なのでは、というのが、ダニエル・ジャスター師のお勧めです。これについては、ケレン・ハ・シュリフット代表のガブリエル・ゲフェン師も同様の見解を示しています。 ハヌカの祭りの祝い方: キスレヴの月(第9月)25日を初日とし、8日間、ハヌキヤ(9枝の燭台)に、1本ずつロウソクを灯します。ロウソクは、日が落ちてから毎晩灯します。 第一日目:中央の「しもべのロウソク」と、向かって一番右端にロウソクを立て、しもべのロウソクに火を灯し、しもべのロウソクから右端のロウソクに火を移します。 第二日目:中央の「しもべのロウソク」と、向かって一番右端(1本目)とその隣(2本目)にロウソクを立て、しもべのロウソクに火を灯し、しもべのロウソクから2本目のロウソク、右端のロウソクへと火を移します。 第三日目:中央の「しもべのロウソク」と、向かって一番右端(1本目)とその隣(2本目)、さらにその隣(3本目)にロウソクを立て、しもべのロウソクに火を灯し、しもべのロウソクから3本目のロウソク、2本目のロウソク、右端のロウソクへと火を移します。 これを8日間繰り返すので、ロウソクは1日目2本、2日目3本、3日目4本と、8日間で合計44本必要です。ユダヤ人が多く住むところに行きますと、44本セットになったハヌキヤ用キャンドルが売っています。
クリスマス由来のプレゼント: 元々ハヌカには、プレゼントを贈るという習慣はなかったようですが、後で、クリスマスにプレゼントを贈るという風習に影響を受けて、ハヌカでもプレゼントを贈る風習ができました。中には、毎日1個ずつ、8日間で合計8つの簡単なプレゼントを贈るということをしている人もいるようですが、それでは出費がかさむということで、ハヌカのいずれかの日にプレゼントを1個渡す、というふうにしている人もいるそうです。プレゼントを渡す風習がクリスマスからというのは、ユダヤ教も認めていることです。 シナゴーグでは: 各シナゴーグや、メシアニック・コングリゲーションで行われるハヌカの間の安息日礼拝では、週ごとのトーラー・リーディング(律法の書の朗読)は、通常通り行われます。例えば、2008年12月27日(土)はちょうどキスレヴの月30日で、ハヌカの第6日目に当たります。その時に読まれた律法の個所は: 律法の書(トーラー)創世記41:1-44:17 礼拝後、持ち寄りでお菓子を持ってきて食べるのですが、奇跡を起こしたオリーブ油にちなんで、油っこいものが出されます。以下が「ラトキス」と呼ばれる「ジャガイモの油揚げ」です。
あと、ジャム入りドーナツと、ダイエット中の人は嘆くような内容のメニューが並びます。夕食だって揚げ物ばかり。キッシュやパイ、魚のフライや炒めた野菜など、油オンパレードです。
ドレイドルの遊び方: ハヌカの祭りの間、ドレイドルというコマを使って遊びます。コマの四面には、それぞれ「ヌン」「ギメル」「ヘイ」「シン」の四つのヘブライ文字があり、それは、「ネス・ガドール・ハヤー・シャン」(ここで大いなる奇跡が起こった)を意味します。また、イディッシュ語で「ニット」(なし)、「ガンツ」(全部)、「ハルブ」(半分)、「シュテル」(置く)という意味があり、コマを回してどの面が出たかによって、手持ちのコインを動かします。 1) ポット(壷)−何でもいいのですが、コインを置く場所を用意する。 2) 全員に10個ずつコインを渡す。 3) 全員が1個ずつ、コインをポットに入れる。 4) ドレイドルを回す順番を決める。最初の人が回して: ポットが空になったら、皆1個ずつコインをポットに入れます。 これを繰り返し、一人にコインが集まるとゲームオーバーです。 http://www.jewfaq.org/dreidel/index.htm(バーチャル・ドレイドル・ゲーム)ここで実際にHP上で遊ぶことができます。ただし英語です。これで実際にやってみると、よく分かります。
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