ロシア生まれの世俗派の女性 ハナさんの証
私はモスクワで、世俗的なユダヤ人の家に生まれました。伝統は守っていましたが信仰はありませんでした。 ある時、母が、ソ連の宣伝する無神論では心が満たされない、この世には、物質生活の他に何かがあると、気づきました。母と私は、一緒にその何かを探求しました。 十代の私は、インドの『死者の書』等の神秘主義の本を読みあさりました。当時のロシアで入手できる限りの本を読みました。 十二歳の頃、母がとても古い新約聖書を手に入れました。母の友人の曽祖父が司祭で、教会の聖書が家にあったのです。当時のロシアでは、聖書を公の場で売っていません。私は聖書を文化として、歴史を変えた有名 な本として興味をもちました。宗教として新約聖書に接したわけではありません。 入手した新約聖書は古くて最初の数ページが無く、マタイ五章から読み始めました。イエスの教えを知るのには、最高の箇所ですね。「木は実によって知られる」等の簡潔な教えに心を打たれ、読み続けた時、「これは真理だ」と知りました。 それから、「キリスト教的」な内容が無いことに驚きました。違和感がなかったので私はイエスをユダヤ人のメシアと信じました。 当時私は、イエスを信じるユダヤ人 は自分だけだと思いました。母も同様に信じましたが、 ユダヤ人でイエスを信じているのは自分たちだけだと思いました。 教会に行くことは、考えもしませんでした。なぜなら、教会は異邦人のもので、ユダヤ人は絶対に行かないもの、キリスト教徒は我々の迫害者と 教えられて育ったからです。 祖母から、毎年の過越しの祭にロシアのキリスト教徒が、ユダヤ人の女性をレイプし、財産を破壊した話を聞きました。 過越しの祭やクリスマスの時には祖母は地下室に隠れていたということですから、教会に行くなど考えもしなかったのです。 母の話になりますが、数年後、 母が神から啓示を受けました。ある夜、自分の命を主に捧げるべきだと知ったのです。 決断は困難でしたが、死ぬべきなら死にますと主に言いました。その時、壁に白い文字が現 ました。「受洗しなさい」と。 それで、母はためらわず 受洗しました。 その半年後、母からその出来事を聞き、信者と会って、受洗し、主に命を捧げました。ユダヤ人のアイデンティティー 私が16歳の時のことで、それ以来私はビリーバーです。 行った教会では、困難を感じました。素晴らしい所でしたが、自分の確信、良心、信仰、ユダヤ性とぶつかったからです。 ロシアの教会では、濃厚な反ユダヤ主義もありました。過越祭などを祝うユダヤ的な会衆と出会うまで、ロシアの教会にいた数年間は、いつも、自分の確信を犠牲にしなければなりませんでした。 メシアニック・ジューと出会い、イスラエルに移民し、ユダヤ人として生き、 礼拝するようになって、やっと、私の心の二つの部分が統合されました。救いのために、ユダヤ人のアイデンティティーを犠牲にする必要がなくなったのです。
|
Copyright© A Bridge
Between Zion and Japan, Joy of Zion: All Rights Reserved |