アメリカ生まれの元ヒッピー エイタンさんの証

1960年代の私は、アメリカの普通の若者と同じように両親の世代が与えてくれる価値観には不満足でした。大学を中退して、政治運動に関わり、警察に捕まりました。それでも不満で、麻薬やロックバンドにも関わり、そして私は現在の妻に出会い、荒野での生活を始めたのです。ニューメキシコの山中で、新婚旅行は洞窟で泊りました。大量消費文化ではなく簡素な生き方を求めました。

自然と共に、農業で生きる共同体に仲間が集まりました。それでも不満を感じていた時、 友人が侵入者に殺されました。なぜ友人は殺されたのか、人生は何なのかと思いました。いったい神はいるのか、 疑問が心を苦しめました。無神論の家に育ったのですが、天に向って叫び求めました。

私は、仏教やヒンズー教など多くの宗教を試しました。インディアンの宗教も試し、聖書以外は全て試したのです。ユダヤ人でしたが、ユダヤ教もキリスト教も知らなかった。でも、私が求めるうちに、人生最大の奇跡が起きました。神が私に、個人的な啓示を与えて下さったのです。イエスが十字架で私のために死なれたと。アメリカの山中で起こりました。私は圧倒されました。

私の前に現れたイェシュア(イエス)の目には無限の愛が満ちていました。私と交わりを持ちたいと願っておられたのです。イエシュアは私の欠点と罪を、ご自分の身に負って苦しんでおられました。

超自然的、あまりにも明白で、否定できなかったのです。イエスは尊敬していましたが、信じる気は無かったのに、余りにも直接的な啓示で、信じざるを得ませんでした。

そこで、1972年10月、山上で彼の前にひざまづき、イェシュアに私の人生を明け渡したのです。

それから聖書を読むと、過越祭の記事がありました。イエスも弟子もユダヤの祭を祝っていたのです。ユダヤ人としてのルーツに、私は再びつながれました。そのルーツは、私たちの家ではもう失われていたのに。私も妻もユダヤ人だったので、 祭を生活に取り入れました。

それは私たちには自然なこと。祭によってクリスチャンよりも良くなるのではなく、ユダヤ人 として生きるのは召命です。

長年の迫害でユダヤ人はイエスを受け入れるのが困難です。

私たちの経験が本物であると他のユダヤ人に伝えるため、それは私たちの内にあるものであり、イエスの弟子たちの生き方なのです。ですから、他のユダヤ人信者に会えて、うれしかったのです。そしてメシアニックの会衆で指導者としての訓練を受け、イスラエルに来て、恵みの天幕の活動をしています。

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